「モシリヤチャシ」

釧路の「モシリヤチャシ」 

チャシというのは山の上にあって

割木の柵を巡らせた施設を指す語、簡単に言うと「砦」の意です。

しかしながらアイヌ族による文献史料が存在しない為、
語源、用途は諸説あり確定していません。

北海道のチャシとしては、500カ所以上のチャシコツ(チャシ跡)が

確認されているようです。

「モシリヤ」とはアイヌ語で「島のある川」

北海道文化資源データベースによると、

史跡内立ち入りは申し出により対応とのことで外側だけ見てきました

標高18mの丘陵を利用してつくられたチャシ、
形が重ね餅に似ていることから
地元では「お供え山」として親しまれています。

宝暦年間(1751~1764年)に実在した人物
トミカラアイノによって築造されたといわれ、
築造者のわかる道内でも数少ないチャシの一つです。
その後も一族が利用し、1世紀近くにわたって機能したとみられています。
今回の私のメインの観光ポイントの一つなのです。

実はこの「チャシ」私には沖縄の「グスク」との

類似性、関連性を色濃く残すように
思われて仕方ないのです。

グスクの多くは14世紀後半から18世紀末にかけて

築城されたといわれています。

チャシの成立時期は不明ですが、やはり16世紀から18世紀、
つまり近世アイヌ文化期であると考えられています。

その繁栄した時期もさることながら、
他にもいくつかの共通点があるのです


1)「聖域との関わり」

内地の「城」は戦いのための砦ですが、
グスクの場合、琉球の信仰の聖地として、
いわゆる「本丸」部分に御嶽(うたき)があります
グスクはもともと御嶽であったと考える説があります。
同じように最初期のチャシは聖域としての
性格が強かったという説があります。


2)「城館説」

地域の有力者の居城として構築されたとする説があること。
チャシはアイヌ族内での緊張状態の影響から
「チャランケ」(後述)の場として用いられるようになり、
和人との戦いが激しくなると軍事施設としての
役割が大きくなっていったのではないかとの見方があります。

チャシの分布は東蝦夷地と呼ばれた道南、道東に多く、
特に根室、釧路、十勝、日高地方に集中しています。
これはシャクシャインの勢力圏と一致している為、
シャクシャインらが和人と戦う中で多くの
チャシが築かれたのではないかと推測されています。
シャクシャインという、
まぁリーダーというか頭領というか、酋長というか・・・は
松前藩の和睦の申し入れで向かった上で誅殺されたとか。
騙し討ちとは、随分と酷いことをしたものです


3)「集落説」

もともと集落として発生し、周辺を石垣で囲ったものとする説。
また、1)とあわせ、御嶽を中心に発達した集落であるとする説。

私は、神様は高いところに祀る⇒その周りを築城し守る⇒人が住む⇒
敵が来ると神と住人を守るために立て篭もるというのが自然な流れで
全ての説が当てはまると思っています。

そんなことで色々見てみると・・・

毎年冬に「チャランケ祭」なるものが東京で開催されていています

実はアイヌ語で「トコトン話し合う」「諭す」

果ては「懲らしめる」は「チャランケ」と言います

一方


ウチナー口(沖縄ことば)では「チャーランケ」は
「 消えんなよォ」という意味

東京で偶然出会った北海道と沖縄の方の会話から、
この二つの音が似ているから付けられ、発足されたお祭り。

もう18回も開催されているようです
アイヌ古式舞踊やら三線やら、エイサーやら・・・

確かにシャッフルのリズムが多いのも共通点。

シャッフルのリズムって
内地の人はノリが前のめりになって、
走りがちで苦手なんですがね。
シャッフル巧いのは民族的な共通点もあって、
内地とは違うのかも知れません。


去年の開催場所は「新井薬師前駅」
徒歩6分(西武新宿線)だったそうです。
今年の冬は開催されれば行ってみたいものです。

 

 

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中