首里赤田のミルクウンケーを見てきました

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首里赤田町の旧暦7月16日の祭りで、

関係者の尽力で、平成6年に復興し今年は19回目。
今までは平日の開催ばかりでしたが、
今年は(日)と重なり見学できました。
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ミルクが大きな団扇(うちわ)をかざしながら沿道の人々の厄を
祓い(はらい)、無病息災、五穀豊穣、家庭繁栄を祈り町内を

スネーイ(行列)する行事です。
有名な「赤田首里殿内」も、このミルクが基。
このミルク、ルーツは弥勒(みろく)菩薩で、
ウンケーは「お迎え」の意。
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赤田のミルクの起源は、いくつかあります
今から三百年前、首里殿内からたいこく
(大国=唐ではないか?或いは泰国、更には本土説も)に派遣された
求道長老(グドォーチョウロウ)は皇帝に会い
琉球の教育、信仰の問題について進言した。
そこで皇帝は「釈迦」「孔子」「弥勒」の中から
選択するように話された。
求道長老は、平和を祈願とする「弥勒」の掛け軸を持ち帰る。
その後、村に疫病が流行った時にもミルクも
祈ったところ村の被害は少なかった。
その後、赤田村に住む嘉手苅ヌ、ウスメーという人が
面と胴の張り子を作製したという話です。

その他にも

室町時代、弥勒菩薩の化生と言われる

中国唐代の禅僧布袋和尚が、七福神の一つとして
京都・京の祭礼の行列(風流)に登場。それが琉球では、
布袋をかたどった弥勒踊となった、とか・・
確かに見た感じは「布袋様」
沖縄地方では各地にミルクを祀ることが多いのです。
波照間のムシャーマの場合はミルクは女性で
ブーブザという夫が
ひょうきんな仕種で付いて来ます。
また、西表では「オホホ」なるお金をバラ撒きながらも
相手にされない道化役が出演したり
(まぁ、今で言うキャバクラへ行ってお金使うけど、
アフター以降に行けないオジサンみたいなモノww
実際は漂着した外国人が起源らしいです)とか
地方によって多少のバリエーションはありますが、
ミルク神は主役で概ねこういう感じで練り歩きます。

しかしながら、赤田のミルクだけの特徴が・・・・

以下、研究サイトから抜粋させて頂きました。
・ミルクの面‥頭からかぶる形のものは、
赤田と辻、西原町棚原のミルクだけと思われる。
他の地域は、面形式で顔面のみで、後頭部はないものが多い。
・ミルクが手に持つ杖は、赤田は振ると鳴る錫杖であるが、
他は木彫り等で作られている。
・赤田のミルクはスネーイの時に、路次樂を率いるが、
他では三味線や太鼓等のみの使用が多い。
・ミルクの履く靴は唐靴であるが、他は下駄や足袋を使用・・・
などです

 ということで、後頭部がポイントですw

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「路次樂」なる、楽隊もチャルメラ、ドラと賑やかです。

赤田の町中をおよそ一時間かけて廻ります。
途中、首里城の継世門で記念撮影w

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この門は裏側の道路側からしか見れないので首里城観光されても

多くの方は、存在に気づかない門ですね。
実際は、その名前の通り、世継ぎの
新王が最初にこの門から入る習わしで
そのためだけに使われた門であったようです。
いろいろな願い事を叶えてくれるとか
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ユーモラスながら、ちょっと横浜中華街みたいな・・・。

スネーイの後は面を奉納して

ウトゥイムチ(内地で言う「おもてなし」)という
バンク(舞台)で歌や舞踊、空手等の演舞を披露、
いわゆる奉納踊などが行われました、
時間の関係でここまでは見れませんでしたが。
スケジュールをお教えいただいた皆様に感謝しつつ・・・
ムービーはこちらに
いやいや、実に楽しいお祭でした。